LOGINそれからどれだけ時間が経っただろう。一時間? 二時間? あるいは十分にも満たないかもしれない。時計がないということはそれだけで酷いストレスだった。
窓から映し出される光景は吹雪のみであり、真っ白。日が沈む気配がないということは、少なくとも午後十時ではない。廃墟となったレストランは椅子とテーブルと瓦礫だけが覆い尽くしていて、見ていると頭がどうにかなりそうなほど陰鬱としている。 由那はそんな俺を愛しそうに見つめている。彼女は何をするでもなく、ただ俺を見ているだけだ。なのに、それがとても楽しいようで、時折頬や頭を撫でてきては、涙を流して歓喜に打ち震えるのだ。 弟と俺を重ねている。彼女は俺を見ていない。それもまた、俺にとってはストレスだった。 何とか脱出しないと。俺はもぞもぞと動かすも、縄はビクともしない。由那は本当にこの手のスキルが異常であった。 だが、何度も何度もごりごりと背もたれで縄をこすっていくうちに、少しだけ緩みが出たことに気づく。もしかしたら脱出できる? 俺は上手く手首をひねり、隙間をかいくはーい、深田ありの名前は深田ありと言いますこんにちはー。 深田ありは小説はあとがきから読み始めるタイプの人間でして、とにかくあとがきが好きでした。 となれば、自作もあとがきを書きたくなるのが人情というもの。 前の作品であるイヤホン『アコ』の恋とサトラレメイドはあとがきを書かなかったんですが、そのことにずっとモヤモヤしてて、「ええい、もう我慢できない!」と今作からあとがきを書くことにしました。 今からでもあとがき書きたいぞ……。特にサトラレメイドは参考資料とか一覧したかったし。図書館で数多の本を片手にノート取りながら時代考証のお勉強したんだもん。 まあ、今更だからやりませんけど。 さて、本作についてですが、深田ありはナショナルジオグラフィックという番組が好きでして、そこで何年も前に観た『月がもし無くなったら地球は地軸が乱れて全球凍結する』というのと、『地球が自転を停止したら昼が半年、夜も半年になる』というのがずっと記憶に残ってまして、それが本作を書こうと思ったきっかけになっています。 「時間は螺旋状に流れる」というのは、ロシアの神秘思想家であるP・D・ウスペンスキーの「時間は螺旋状に動き、次元の一つである」という説を採用。黒い渦はここから着想を得ています。 作中に出てきたアトラス彗星というのは「Asteroid Terrestrial-impact Last Alert System」の略で、日本語では小惑星地球衝突最終警報システムです。地球近傍天体を広域掃天し、衝突のおそれを早期に警戒するための観測網で、これは実在するものですね。 本作は面木にせよ墓川にせよ由那にせよいずみにせよ、暴力によって全てを解決させようとしますが、これは「法がなければ、人間は利害を暴力で解決する」とフロイトが提唱したものが根っこになっています。 終末には法はないから、秩序とは暴力によって成し遂げられる。 しかしルソーが、ホッブスの言うところの自然状態の人間には、自己保存の本能である「自己愛」と、他人の苦痛を見て無意識に助けようとする「憐憫の情」が備わっていると説いたところからも、本作は単なる暴力で終わるようにはデザインしませんでした。
黒い渦は、今度こそ消えた。子供たちは手を繋ぎ、肩を寄せ合ってゲートを通過したのだ。 俺たちはそれを見送った。 三人でもゲートはギリギリだった。小学校低学年くらいの彼らでもギリギリなのだ。おそらく宮一安全衛生委員会の六人が通ることは不可能だっただろう。となれば、やっぱり殺し合いは避けられなかった。 「子供たち、今度こそ行ったね」 黒い渦が消えた屋上は本当にコンクリートの荒野みたいで、いずみの声だけがぬくもりとなって響く。 「うん」 「最後まで、春弥は、いてくれるよね?」 「いるよ。最後の最後まで、ずっと」 どうせ他に行く場所もない。気温はもうマイナス三十度近いだろう。どこに行っても死ぬ。 胸だけじゃない。全身に激痛が走る。頭がおかしくなる寒さだ。 でも、いずみは俺の肩にぴったりと体を寄せながら、不安そうに。 「わがまま、なのかな?」 「いいよ、これくらいのわがままは。むしろ嬉しい」 「春弥は帰り……たかったよね、ごめん」 「いいんだ。いいんだ」 確かに本音を言えば帰りたかったさ。元々ここは俺の世界ではないのだから。 母さんに会いたかった。夏をもう一度見たかった。 でも、それはもう叶わない。 そのことに思うことがないわけじゃないけれど、子供たちを犠牲にしてまで帰ろうとすることは俺には無理だったし、いずみも許しはしないだろう。もしそんなそぶりを一度も見せていれば、俺は今ここにいない。他のみんなと同じように、撃ち殺されていた。 ならばせめて誇りと倫理を持って、愛する人と最期を迎えよう。 「春弥……」 「ほら、夜だ」 「あ……」 腕時計を見ると午前零時。ここでようやく夜が来た。 おそらく日の出は三十分後か一時間後か、下手したら数分かもしれない。 本当に短い夜が、俺たちを迎えてくれた。 「少しの間だけ、ほんの少し。でも、夜だよ」 俺はいずみの肩に手をかける。いずみは抵抗しなかった。 「うん、夜が来るね。あは、春弥」 「なに?」
「っ!? み、みんな!? 黒い渦をくぐらなかったの!? ど、どうして!?」 黒い渦があるのか!? まだあるというのか。俺は振り返り――あった。まだ、あった。気づかなかった。俺も、そしていずみも。 俺は撃たれたショックでしばらく気絶していたから仕方ないとしても、いずみも気づいていなかったとは。それほど仲間を撃ち殺したショックが大きかったということだろうか。 そりゃそうだ。いずみみたいないい子が人を殺して平静でいられるわけがないのだから。 三人の子供たちがいずみのもとへ駆け寄ってくる。 「おねーちゃん」 しかし、いずみはそれを拒絶した。 「ダメ! 私はついていけない。厳しいことを言うけれど、みんなはこれから力を合わせて生きていくしかないの! 辛いこと、悲しいこと、大変なこと、いっぱいいっぱいあると思う、でも、私に頼ることはもう出来ないの! わかって!」 しかし子供たちは首を振り、 「わかってるよ」「しってるよ」「おねーちゃんもきてなんてわがままいわない」 とても大人なことを、言わせてしまった。 いずみが震えながら訪ねる。 「え……じ、じゃあ、どうして……」 すると三人は、一枚の紙をいずみに差し出す。 「だから、これを、おねーちゃんに」「うけとって」「ね」 そこには、六人の子供と、その中央にいずみがいるクレヨン絵が、描かれていた。 子供らしい稚拙さはあるが、丁寧に作られ、そして皆が――笑っている。 「え……ぁ……」 「「「わすれないで」」」 三人の声が重なって、そして。 「……ぁ、ぅ……。う、うぅ……」 いずみがアゴに梅干しを作りながら必死に泣くのを堪えようとしたから、俺はそんな彼女を抱きしめて、優しく背中をさする。 「いずみ、泣いていいんだよ。もう、我慢しなくていいんだよ。ずっと我慢してたんだろ? 子供たちを守るために、ずっとさ」 一拍置いて。 「俺はさ、一つ気になってたんだ。由那にしろ面木にしろ墓川にしろ花香にしろ、みんな本性を一度はさらけ
それから俺といずみはしばし無言で世界を眺める。 白い廃墟。荒廃した地獄。命の灯火を消し去るような寒さ。おそらく俺たちはあと数日も生きてはいられまい。でも、死ぬにしても、この景色はグロテクスな美をたたえていて、不思議なほど美しかった。 太陽は決して沈まない。 すると、いずみが世界を眺めながら、ぽつりと。 「ねえ春弥。黒い渦について一つ黙ってたことあるの」 「え?」 「最初見つけた時はね、紫色だったんだよ、あれ」 「え……」 そう言えば由那が言っていた。ゲートである黒い渦は通過すると色が変わると。黒いのは確か、最初と最後だけだと。 なのに何故、色が黒いのか。 その理由は、意外なものだった。 「私はさ、密かに子供たちを送ってた。いや、最初は瓦礫投げ入れてみたんだけど、その都度色が変わって、何か嫌な気配がしたから、勇気を出して子供たちを送り込んだ」 「…………」 「気づかなかった? 孤児は六人って私言ったよね? 六人いた?」 「あ……っ!」 そうだ! いずみは何度か言っていた。孤児は六人だって! しかし初めて会った時は既に四人しかいなかった。そして後に三人になった。六人見かけたことは一度もない! それはつまり、いずみが送り込んでいたということ。 でも、だったら何故三人を残した? 「でもある日黒い渦がなくなっちゃった。由那が、隠したんだね」 「…………」 なるほど、だから三人だけだったのか。 そしていずみがギリギリまで隠していたのは、黒い渦の場所がわからなかったからか。 「実は私、シェルターの人たちについてはどうでもいいんだ。だって子供たちが減ったことで騒ぎになるかと思ったらならないんだもん。誰も気にも留めない。そんな薄情な人たちを助けようなんて、私思わない」 「…………」 「だから子供たちしか最初から助けるつもりはなかった」 なるほど、黙っているわけだ。彼女は多くの罪を隠していた。 ずっとずっと、隠していた。 俺は過去何度か疑
雪が止み、白い世界が広がっている。 無限の寒さに包まれながら、荒廃していく廃墟がまるで墓標のように連なっている。 いずみは斜めに傾いたビルの屋上の先に座り込み、滅び行く世界を眺めながら悲しく笑う。 「はは……私、なにやってんだろ……」 彼女に後悔はあるだろうか。多分ある。どうしようもない後悔が。 「でも仕方ないんだよ、ね……悪者になるのも仕方ない、か。あはは」 笑い声が、静かに世界へ拡散する。 世界はそれに答えることなく、ただただ滅び行くだけであった。 「でも、これでよかったんだよ。これで……」 自分に言い聞かせている。必死に言い聞かせている。 「みんなは助けた。みんなは助けた。だからもう、大丈夫」 彼女には一つだけ正義があった。これをしなければならない理由があった。 「あはは、せめて夜になってくれればなあ。もう、夜にもならないや」 そんな彼女の姿を見て、『俺は』ゆっくりと声をかける。 「やっぱり、子供たちのためだったんだ」 ぎょっとして振り返るいずみ。その顔はしかし、驚愕の中にほのかな嬉しさが垣間見える。 「春弥……生きてたんだ」 「たまたま、ね」 弾丸は心臓には当たらなかった。肋骨にヒビを入れて体を貫通していった。 勿論痛みはあるし、これを放っておけば死ぬだろう。 でも、どうでもよかった。胸がズキズキと痛むが、それだけだ。折れてもいない。 俺はよろよろといずみの傍まで歩み寄ろうとして、彼女が手を伸ばして制止させる。 「だめ、来ないで。私の手は血にまみれている。私は人殺しなんだよ」 「でも、子供たちを通すためには、仕方なかったんだろう?」 「…………」 どうしていずみがみんなを殺したのか。 それは子供たちを黒い渦にくぐらせるためだった。 黒い渦のサイズは高さ二メートル、幅一・五メートルしかない窮屈なもので、しかも一度しか入れない。数珠つなぎも出来ない。 どう
屋上に辿り着くと、白い空が世界の全てを覆っていた。猛烈なまでの雪が吹き荒れていて、世界がほとんどわからない。 屋上は完全にコンクリートの荒野と化しており、あちこちに入った亀裂が得体の知れない悲惨さを醸しだしていた。 そしてそんな黒い世界の果てに見える――ブラックホールを縦にしたようなデザインの渦。 高さは二メートルほど、幅は一・五メートルほどの小さな渦だ。 「これが……黒い渦」 墓川が目を丸くさせた。どうやら今の今まで半信半疑だったようだ。さもありなん。 俺はこくりと頷き、 「ああ、ゲート。これが……この世界から脱出する、唯一の希望」 そう答えた。体が震える。心臓が高鳴る。 あそこさえくぐれば、俺たちは助かるのだ。この極寒地獄からもおさらばだ。 面木が俺の肩を叩きながら、興奮気味に訪ねてくる。 「マジで黒い渦だな。この向こうにてめえの世界があるんだな、田下?」 「いや、由那の話ではどこの世界に繋がるかわからないみたいだ」 「アアァッ!? ナンダソリャ!?」 驚かれたか。いや、これは俺も知らなかったことだ。実を言うなら、俺だって思うことはある。お母さんに会えない。家に帰れない。あの黒い渦は俺の故郷へは繋がっていない。 そのことに悲しさはある。絶望もある。 でも、今は生きることが最優先だ。少なくとも黒い渦はあったし、あの向こうには生きる道が繋がっているのも、多分間違いない。由那のいうここ以上の地獄に繋がっていない限り。 なら、覚悟を決めろ。 俺はそれだけの気持ちを込めて、面木を見つめた。面木はチッと舌打ちして後ろに下がる。 と、違和感。 「ただ、なんか、それとは別に……あれ」 目の前には黒い渦がある。俺がこの世界に来た時と同じものだ。 同じ――同じ? 「渦が、黒い」 俺は目の前の渦について言葉に乗せてみて、気づく。 「黒……そうだ! 黒い! なんでだ!? 由那、確か君は言ったな? ゲートは一度くぐると色が変わるって! 最初は黒! そして次は――」 「紫」 由那がつまらなそうに答えた。 「なのになんで、なんであれは黒いんだ!? 由那、黒って確か……」 「最初と最後にしか現れない。つま